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【道徳 教科化】教育勅語は「近代道徳教育のモデル」だった! 現代語訳  [道徳教科化]

道徳の教科化に際して、教育勅語の意味をもう一度考えてみます。


教育勅語(きょういくちょくご)・・・・日本人にとってなにが「大切なこと」なのかを示された手本。人生の道しるべ。明治23年(1890年)に発布。


[教育勅語 現代語訳]をまず見たい方はこちら


 


教育勅語は普遍的良心


発布された明治23年当時は、文明開化の風潮により洋学が重んじられ、我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される傾向にありました。その結果、「道徳」は空白化し、価値観の混乱が見られたのです。


このような実情を深く憂慮された、明治天皇は徳育の振興が最も大切であるとされ、人を幸福に導き、民主的な日本をつくるための普遍的な価値観(良心)を示されたのです。


教育勅語は現代道徳モデル.jpg 伊藤哲夫著 「教育勅語の真実」 一読をお勧めします。


 


それが教育勅語であり、現代に生きる日本人にもその精神性が息づいているのは間違いありません。それは、東日本大震災の被災地で極限状態においてもなお、秩序を乱すことなく、隣人を思いやり、わずかな食べ物や物資をわけあったその姿に見出すことができます。


戦後、左翼勢力の圧力によりタブー視される風潮がぬぐえない教育勅語ですが、中身を冷静に吟味してみるならば、むしろ「近代道徳のモデル」としての価値が浮かび上がってくるものです。


道徳教育に必要なのは核心となる良心であり、魂です。その上でも、教育勅語の精神や経験を現代に継承発展させ、「道徳教育」の充実化に生かしていただきたいと切に願います。


教育勅語道徳教育本質.jpg


 


現代版「教育勅語」の必要性


内閣府道徳意識調査.JPG

良くも悪くも興味深いデータがあるので、ご紹介致します。


左記記事にあるように、世界の若者意識調査(子供・若者白書」の結果です。


「自分の将来に明るい希望を持っているか」という問いに、61.6%「40歳になったとき、幸せになっているか」という問いに66.2%と共に調査国で最低の数字。


一方で、「自国のために役立ちたい」54.5%でトップ 「自分の参加で社会現象が少し変えられるかもしれない」30.2%で最下位。


日本の子供たちは、国や社会のために役立ちたいという気持ちがありながら、その夢や希望を信じる力が弱いのでしょうか。厳しい現実が見えすぎているのでしょうか。自分の未来の幸せが信じられなくて、日本の国づくりや世界の平和構築への気概を持つことができるのでしょうか。


調査を担当した内閣府は「若者の自己肯定感を育むため、家庭・学校・地域が一体となって子どもや若者を見守り支える環境づくりを進めるべきだ」と分析しました。


思うに、家庭・学校・地域が共有でき、子供たちが自信を持って生きるための、日本人としての健全な人格を育むための理念とその実践の場、今こそ求められているのではないでしょうか。


そして、その理念こそ、現代版「教育勅語」だと私は信じています。現代版としたのは、ひとつには、人も物も情報も価値観もグローバル化したこの時代において、幸福な家庭と平和な世界の実現という明確なゴールを示すと共に、「家族と隣人を大切にする日本人」「世界に貢献する誇りある日本人」という価値観・自国観がより強調されるべきだと考えます。


 


教育勅語 朗読



(1分38秒で朗読。発音が意味と共に確認できます) ?


教育勅語現代かなづかいによる読み方.jpg


PDF(A4サイズ)版 現代かなづかいによる読み方つきが 明治神宮公式ホームページ にて提供されています。


 


教育勅語(きょういくちょくご)の現代語訳 


《現代語訳 》


私が思うには、わが祖・神武天皇をはじめとする歴代の天皇がこの国を建てられ、お治めになってこられたご偉業は宏大で、遼遠であり、そこでお示しになられたひたすら国民の幸せを願い祈られる徳は実に深く、厚いものでありました。


それを受けて、国民は天皇に身をもって真心を尽くし、祖先と親を大切にし、国民すべてが皆、心を一つにしてこの国の比類なき美風をつくり上げてきました。これはわが国柄のすぐれて美しいところであり、教育が基づくべきところも、実にここにあると思います。


国民の皆さん、このような教育の原点を踏まえて、両親には孝養を尽くし、兄弟姉妹は仲良くし、夫婦は心を合わせて仲睦まじくし、友人とは信じ合える関係となり、さらに自己に対しては慎ましやかな態度と謙虚な心構えを維持し、多くの人々に対しては広い愛の心をもとうではありませんか。


また、学校では知識を学び、職場では仕事に関わる技術・技法を習得し、人格的にすぐれた人間となり、さらにそれに留まらず一歩進んで、公共の利益を増進し、社会のためになすべき務めを果たし、いつも国家秩序の根本である憲法と法律を遵守し、その上で国家危急の際には勇気を奮って公のために行動し、いつまでも永遠に継承されて行くべきこの日本国を守り、支えて行こうではありませんか。


このように実践することは、皆さんのような今ここに生きる忠実で善良な国民だけのためになされることではなく、皆さんの祖先が古から守り伝えてきた日本人の美風をはっきりと世に表すことでもあります。


ここに示してきた事柄は、わが皇室の祖先が守り伝えてきたものでもあり、われわれ皇室も国民もともどもに従い、守るべきものであります。これは昔も今も変わるものでなく、また外国においても充分に通用可能なものであります。私は皆さんと一緒になってこの大切な人生の指針を常に心に抱いて守り、そこで実現された徳が全国民にあまねく行き渡り、それが一つになることを切に願います。





教育勅語口語訳(国民道徳協会訳文による)



私は私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現を目指して、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげてまいりましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。


国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。


そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私たちの祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。


このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私たち子孫の守らかければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。



 

【教育勅語の十二の徳目】

1.親に孝養をつくしましょう(孝行)

2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)

3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)

4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)

教育勅語現代語訳家族.jpg

5.自分の言動をつつしみましょう(謙遜)

6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)

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7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)

8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)

9.人格の向上につとめましょう(徳器成就)

現代語訳人格向上.jpg

10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)

11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)

12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)

 

 

 

教育勅語の本.jpg
↑ 教育勅語を反対にしてみると、教育勅語の価値がよくわかる、と 目からウロコの一冊。
逆・教育勅語/こうして「両親を大切にしない」世の中になった/こうして「兄弟姉妹を大切にしない」世の中になった/こうして「浮気や離婚が当たり前」の世の中になった/こうして「他人を信じられない」世の中になった・・・・などなど。
 
 
 
肯定的評価と否定的評価
※この項目は、wikibooks 教育勅語 を参照しました 
 
< 肯定的評価 >
日本の伝統的道徳観が込められており、一種の模範となるものがあってもいいのではないか
・桐蔭横浜大学学長鵜川昇によれば「『カトリックの倫理綱領と同じ』であり、『日本人としての根本倫理』を表したものとして講義を続けた栄光学園のグスタフ・フォス校長(神父)」のような教育者も過去には存在したという。また、三重県伊勢市の私立・皇學館高等学校は教育勅語を教材の中に取り入れており、現代の社会において欠けているものが教育勅語にあるからこそ、生徒に暗唱をさせている。
< 否定的評価 >
第2次世界大戦末期に過剰な神聖化がなされた経緯もあり、思想や良心の自由を否定している
・軍人の規律を説く軍人勅諭と同列のものであり、軍事教育や軍国主義につながる。
・教育の根本に天皇中心の国体思想を据えたこと自体が問題である


教育勅語のよくある10ケの誤解に答える番組(必見!)



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教育勅語に見る天皇観、教育勅語の作成 7条件?
日本が明治時代の国際情勢として、シナ(中国)、ヨーロッパでは一人の豪族が、多くの土地を武力で占領し、一つの政府を立てて征服し、国家としていました。すなわち欧米の国家成立は、君民の約束である国家契約で成り立っていましたが、日本は「天皇の徳」によって国家が始まると考えました。
天皇の源は、「皇祖(神)の心を知り、これを民に伝え、民の心を知ることだ」と定義づけたのです。天皇は決して封建的な権力者ではありません。むしろ神の前に、民の前に、無私そのものだというのです。すべての民の心を平等におしはかる、ある意味たいへん民主的な、尊い存在だというのです。
これは日本固有のものであり、天皇の徳による国柄とし、専制主義を排するように明治憲法は書き上げられました。また、この思想は、以下のように、教育勅語にも作成7条件として反映されています。
明治神宮.jpg
第一.教育勅語は他の行政上の勅語と同様であってはならない。
立憲君主制の国では「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」というのが基本原則であるがゆえに、権力による強制ではなく、社会上の君主の著作として発せられるのが好ましい。
第二.勅語には天とか神とかいう言葉を避けなくてはならない。
宗教上の争いを引き起こさないようにとの配慮です。
 
第三.勅語には深遠な哲学上の理論を避けるべき。
哲学上の理論は、必ず反論が出てくるので、天皇が片方に肩入れすることはない。論争は専門家に任せておくべきだ。
 
第四.勅語には、政治上の臭味を避けるべき。
政治上の思惑や言葉は、陛下のお言葉のありかたとしてふさわしくない。
第五.漢学や洋学に踏み込むことも、陛下のお言葉としてはふさわしくない。
 
第六.「これをしては、あれをしてはいけない」などの消極的な言葉を用いてはならない。
 
第七.宗派争いを助長したり、それに巻き込まれるようなことがあってはならない。

 

 

道徳教育教育勅語.jpg

まさにいま、学校教育に道徳教育を定着させるための試行錯誤が続いているといえましょう。「教育勅語」をひとつのモデルとして、人として、日本人として、誇りと希望と自信が持てる教育が確立されることを願ってやみません!





最近、“楽天”を使うことが多くなりました (^^ゞ
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