東日本大震災 幽霊 NHK 朝日新聞【東北被災地で目撃談 続々と 】 [被災地 幽霊]
毎年3・11が近づくと思いだすニュースがあります。
「被災地で幽霊が!?」がどうやら本当らしいという話です。
目撃談が続々報告されました。
朝日新聞、産経新聞、そしてNHKスペシャルで・・
ちょっと怖い話。しかし、亡き家族との感動的な再会は泣ける・・
◇産経、セブン、朝日の報道記事
東日本大震災(2011年3月11日)からちょうど1年すぎた頃のことです。
産経新聞の記事で以下のような被災地のニュースが掲載されていました。
「水たまりに目玉がたくさん見えた」「海を人が歩いていた」…。
被災者の“目撃談”は絶えない。
遺体の見つかっていない家族が「見つけてくれ。埋葬してくれ」と枕元に現れたのを経験した人もいる。
さらにNEWSポストセブン(2011年12月)の記事
【 ゼネコン社員「彼らは冗談で言っていない」 】
「夜になると、出るんですよ、幽霊が」。
こう囁くのは岩手県沿岸部でがれき撤去に従事する作業員の男性。
この男性によると、深夜から未明にかけて海沿いを歩く複数の人間の姿が見られるという。作業時間は過ぎているし、現場はがれきだけで人らしきものは一切ない。また、別の作業員も同様の証言をする。
「最初は『窃盗団か何かが悪事を働きにきたのだろう』と仲間と一緒にその姿を追ったのですが、海岸に着くと誰もいない。恐くなってすぐ宿舎に戻りましたよ」
そして、
朝日新聞 2012/11/19 夕刊にもこんな記事がのっていました。
少し長めですが、引用します。
切ない思い、姿を変えて
東日本大震災で、幽霊の目撃談が聞かれるという。 残された人びとの切ない思いが呼び寄せたのであろう、この世のならざるものたち。 どう向き合えばいいのか。
● そこを車で通ると、なにか黒いものが見えて、ゾクッと寒気がするんです --- 。
東日本大震災の仮設住宅で、被災者の悩みを僧侶らが聴くボランティア活動 「 カフェ・デ・モンク 」 の金田諦應住職 (56) は最近、そんな相談をある被災者から受けた。
この男性は、勤め先の工場が津波で流され、いまは地元のがれきを片付ける仕事をしている。 その行き帰りに、大勢の人々が亡くなった場所を通ると、 「 なにか 」 を見てしまうのだという。
話をじっくり聴くと、かつての勤め先で長年お世話になった経営者の家族が津波の犠牲となっていた。 だが、葬儀は営まれず、墓参りもできていない。
金田さんは 「 あなたが優しい人だから頼ってきてるんですよ。 でも一人では背負いきれないから、ちょっと待ってて、と言ってもいいんんだよ 」 と助言した。 故人の名前を聞いて読経すると、男性は涙を流したという。
● おじさんがソファに座っている --- 。
親族を津波で亡くした10代の女の子は、そう打ち明けた。 何度も相談に乗り、 「 何か話がしたいんだと思うんだ。 怖いものじゃないんだよ 」 と応じた。
● 昨年5月から 「 カフェ・デ・モンク 」 の活動を続ける金田さん。 幽霊のような心的現象に悩まされる被災者は、何人もいた。 訪れる地域では、ほとんどの人々が親しい人を亡くしていて、まだ区切りがついていないのだと感じる。
たくさんの人々が犠牲になった場所で幽霊が出るといううわさも、住民の間で出回っている。 金田さんは頼まれて、住民たちの前こんなふうに語った。
「 きちんとお別れができなかったのは、犠牲者も残された人も一緒。 相思相愛だから不思議なことが起きているけど、決して怖がらないで。 こちらの世界がちゃんとやっていると分かれば、何年か後にはスッと消える。 こちらの気持ちにもかかっているんです 」
金田さんは 「 原因を探したり、解釈したりするのではなく、被災者の心の不協和音を聞き取って、これから前向きに生きるメロディーに編んであげるのが、私たち宗教者の役割だと思います 」
◇リアルすぎるブログレポート
もうちょっとリアルなのが、現場にいる方のレポートです。
【テレビじゃ伝えない被災地】(2012・1・11)より
最近の石巻の被災地はと言うと、
ちょっと紅白の長渕剛の時にも触れましたが、幽霊騒動が頻発しています。
全く人の住んでいない南浜町、門脇町なんですが、
タクシーの運ちゃんが夜に客を拾うと 、
「南浜町まで。」なんて事も多い様です。
その事を問うと、「私死んだんですか?」なんて聞かれたりも・・・・。
そして、海岸沿いの瓦礫置場には管理人が24時間立っているんですが、
夜間の当番の際には色んな物が見え過ぎて、
とてもじゃないけど怖くてやってられず、 夜間閉鎖の現場が多いとか。
全く更地に近い見通しの良い門脇の道。
「人をひいた。」との事故が頻発しているが、
被害者は全くいなかったりして、 あまりにも多発するので、
日和大橋と言う橋が夜間通行止めになっているとの噂です。
見えない者達が本当にいるとすれば、確実にこの地区には大勢いるんでしょう ね?
真夏の頃から、何故か冬物のジャンバーを来ている人が歩いていたとか、
復活した冷凍食品の加工会社にある休憩室に
子供が遊んでいたとか言う話を耳にする様になりました 。
南浜町に住んでいた自分としては、叔父や叔母もいまだに見付からず、
そうして出てきていると思うと 他人はともかく、
身内に関しては怖いと言うより会いたいと言う気持ちすらあります。
今でもたまに遺体が出てきているけど、
おんちゃん達、どこに行ったんだかなぁ・・・・。
今やデジカメを向けると、無数の顔認識が表示されると言われる我が故郷。
現時点で、こんな事は絶対にメディアに乗る訳も有りません。
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◇犠牲者の皆様のご冥福をお祈り致します
この震災によって犠牲となられた方々の無念さ、愛するご家族を亡くされた御遺族の方々、故郷を追われた被災地の方々の悲しみ・・・ 様々な思いがこの被災地につまっています。
特に家族にしっかりとお別れを言う間もなく、他界してしまった方々にとって、
自分自らの死を受け入れることは到底難しいことかもしれません。
梶栗玄太郎氏(宗教法人世界基督教統一神霊協会元会長 故人)は、震災一周年によせて「助かった方々だけでなく、犠牲となられ霊界に行かれた方々にも、早く真の救いと苦しみからの解放が訪れることを祈ってやみません」とコメントしています。
ご遺族・被災地の皆様方のご多幸、そして被災地の一日も早い復興を記念するとともに、犠牲となられた方々の安らかなご冥福を心からお祈りいたします。
< 追記 >
◇NHKスペシャル “亡き人との再会”
2013年8月23日(金)に、NHKスペシャルで、被災地における亡き人(いわゆる幽霊)との出会いが生々しい証言をもって放送され、多くの反響を呼びました。
NHKスペシャル <シリーズ東日本大震災>
「亡き人との“再会” ~被災地 三度目の夏に~」
証言 東日本大震災で一緒にいたおばあちゃんが濁流で流されて、自分だけが生き残った。
「なんで自分だけ生かされたんだろう。なんで死ねなかったんだろう」とおばあちゃんのことばかり考えていた。
そんなある日の夜、おばあちゃんが枕元に鮮明な姿で現れて、にこやかに微笑みかけてくれたんです。
穏やかな表情に救われた想いがして、おばあちゃんの為にも自分がしっかりと生きていかないと考えるようになりました。
母親の証言 東日本大震災で3歳でなくなった息子がそばで遊んでいる気配を感じました。
「こっちで食べなよ」というと、その瞬間に、急に動くはずもないアンパンマンの車のおもちゃが
音をたてて動き出したんです。 一瞬びっくりしましたが「○○ちゃんだ」って、すぐにわかりました。
父親の証言 東日本大震災で妻と0歳と1歳の二人の息子を亡くしました。
「父親らしいこと、何一つしてあげられなかった」とふさぎこんで生きて、3年目、
私がねていると、トントンって肩をたたくんです。
ふとみると、そこには3歳と1歳になった2人の息子と不思議な女の子が立っていました。
長男が「パパ、大丈夫だからね!」と励ましてくれました。
二男は無邪気にきゃっきゃとわらっていました・・・
それ以来、家族がいつも見ていてくれて共に暮らしているように感じるようになりました。
NHKスペシャルNHKスペシャル <シリーズ東日本大震災> 「亡き人との“再会” ~被災地 三度目の夏に~」
多くの命を奪った東日本大震災から三度目の夏。海辺で、墓前で、壊滅した街で・・・死者を鎮魂する行事が行われ、突然大切な人を失った人たちは、亡き人への思いを募らせる。
そうした被災地で今、「故人と再会した」「声を聞いた」「気配を感じた」といった“亡き人との再会”体験を語る人が後を絶たない。
体験した人たちを尋ねていくと、そうした体験は、「故人に一目会いたい」「死を受け入れたくない」「自分だけ生き残って申し訳ない」など、悲しみの現れであると共に、遺された人たちの生き方にも影響を与えている事が分かってきた。
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